-Vicenza- イタリア小都市の思い出
先日三浦半島一周サイクリングの帰りに、横浜のバーニーズの前の交差点で信号待ちをしていると、初老のセンスの良い女性が立っていた。何気なくバッグを見ると、使い込んだ真っ赤のナメシのいい革製で、よく見るとジッパーに亀のマークが、、、
もう14年も前になるが、イタリア・ベネト州の美しい都市ヴィチェンツァに行った。 ミラノやフィレンツェばかり行っていた私にとっては初めての地方小都市。それも一人っきりでフィレンツェからトーマスクックを片手に何時間もかけて国鉄を乗り継いで向かう時は、期待というより不安で胸一杯だったことを鮮明に覚えてる。目的はFrancesco Biasia。 フランチェスコ・ビアジア というバッグご存知ですか?今や高島屋や西武など有名デパートならどこでも置いてある有名ブランドですが、当時は勿論全く日本では知られていないブランド。ただ一枚のインフォメーションを手掛かりに日本からアポを取り出かけたのでした。駅に着くとその名もずばりビアジアさんが迎えにきてくれ、早速工場兼オフィスへ。雑然と並べられたバッグ達を前に「さあ、選べ。」と言う。ちょっと良さそうなバッグがあればいくつか、、、と思ってた所が、未だ仕入になれない緊張とその場の勢いで、なんと100個!をオーダー。帰国後、恐る恐る100個の事を告げると案の定 「えー!仕入資金全部使って、それに100個もどうするのよ!」とお叱りの言葉。14年前というとコーネリアス開店の年。新聞折り込みにもこれを目玉にインポートショップを新規オープン!と宣伝をうち、そして売るしかない。亀さんマークのBIASIAは心配をよそに飛ぶように売れ、当時のイタリア リラの信じられないような安さもあって私も鼻高々、、、という懐かしいVicenzaの思い出があります。この時が私にとって最初で最後のVicenza。せっかくの有名な劇場や、イタリアでも有数の町並みの美しさなどの記憶は一切なく、あの100個選んだ工場だけが今思い出しても懐かしいです。余談ですが、 日本人としてこの劇場に最初に足を踏み入れたのは、劇場が完成した1585年、有馬・大友・大村というキリシタン大名から送られてきたあの天正の少年使節であったそうで、劇場に併設されたアンティ・オデオAnti Odeoという部屋の上部には、モノクロームのフレスコ画で少年使節がテアトロ・オリンピコを訪れた時の様子が描かれているが、顔も服装も、どこからみてもしっかり西洋人というところがおかしいそうです。
そんなことを思い出しながら、サイクリングメーターを見ると115KM。久し振りにVicenzaに行きたくなった。そして今度は自転車で。(ロレ筆)
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コメント
このブランドのことは智さんが「うちでも昔扱っていたブランドですよ」とおっしゃっていたことを思い出します。数年前にミラノに行った時、有名な通りに小さなお店があってそこでいかにもセレクトショップ買付風の日本人の中年の方が大きなカバンを持ってきて慣れた雰囲気で、いくつもバッグを購入されて(100個じゃないですよ、さすがに)いたのを見て「コーネリもこうなのかなぁ、、、でも小売店で買うのかなぁ」と横目で眺めつつ、私は黒の革のキーケースを購入しました。帰ってきて「ミラノで買ったのはこれくらい。あとは観光してた」とたまたまコーネリで智さんにお見せした時の智さんの反応でした。実はこんな裏話があったなんて、、、。でも私のキーケースには亀さん付いてないんですけど、、、。
投稿: コーネリスト | 2009年5月 8日 (金) 10時46分
コーネリストさん、いつもコメントありがとうございます。
BIASIAの亀さんマークは初期のものだけみたいですよ。
今あったらプレミア物かも?!
あの頃の出張手記を見ると本当に懐かしいです。「今だから言えるブランド必殺仕入編」とか書いていこうかな、、とか。
おっと、今手帳見たら、「ここにある段ボール全部マンダリーナダック500個100万でどう?」と言われた!!!とか、、、
投稿: ロレ | 2009年5月 8日 (金) 11時49分